こんばんわ。1月5日・水曜日の書き込みです。
父親の医療費関係の手続きを毎月してるんですが、先月分から自己負担金の上限が倍に。 その分、今まで戻ってきた金額も半分ぐらいになって、細かく計算したら月のマイナスの額も増える形に。 ま、仕方ないことなんですけどね。
介護ってのはほんとお金かかるなぁと・・・・
年明け早々、こんなテンションじゃだめなんですけどねw
では1月5日・水曜日分の目次です。
- 【鉄道トピックス】
- 【やんスポ】
- 【れきしヒストリア17:法善寺横丁】
- 【鉄ネタ+】
- 【今日のハングル:호랑이】
- 【明日は何の日:将軍大坂城を去る】
- 【1/5 気になったYahoo記事】
- 【今日のほぼ日 日々の手帳】
【鉄道トピックス】
近鉄:大阪線長瀬駅に急行・準急・区間準急が臨時停車
1月29日(土)30日(日)に行われる近畿大学の一般入試前期に合わせて最寄り駅の大阪線長瀬駅に一部の急行・準急・区間準急が臨時停車します。
午前中の大阪上本町発9:35~9:50までの急行2本、準急が1本。
午後に長瀬駅発大阪上本町行15:59~16:47までの急行3本、準急1本、区間準急3本の合計10本が臨時に停車。
また高安発大阪上本町行き普通が1本、臨時に運行されます。(長瀬駅発16:11)
詳細)https://www.kintetsu.co.jp/railway/Dia/dia_kinkidaigaku_20220129.html
OsakaMetro:中央線九条駅5号出入口、朝潮橋駅6号出入口一時閉鎖
中央線の九条駅5号出入口、朝潮橋駅6号出入口がそれぞれ出入口階段補修工事が行われるために一時閉鎖となります。
ともに1月4日(火)~2月末日までの予定となっています。
詳細)中央線九条駅5号出入口、朝潮橋駅6号出入口の一時閉鎖について|Osaka Metro
叡電:アニメ「スローループ」とのコラボレーション企画実施
芳文社が発行するまんが雑誌「まんがタイムきらら」とのコラボレーション企画「きらら×きららプロジェクト」34弾企画としてアニメ「スローループ」とのコラボレーション企画が1月8日(土)より実施されます。
712号列車にコラボヘッドマークが掲げられ、車内や車体側面に「スローループ」のイラストや装飾のされたラッピング列車が1月8日(土)~5月31日(火)までの予定で運行。
他にもコラボヘッドマーク掲出運行企画の実施やコラボきっぷの発売(1月29日発売)が行われます。
詳細)https://eizandensha.co.jp/wp-content/uploads/sites/2/2021/12/news_2021.12.23.pdf
<グッズ・乗車券・イベントなど>
近鉄:布施駅記念入場券および駅名キーホルダー発売
https://www.kintetsu.co.jp/kanko/kanko_info/news_info/220104_fuse_goods.pdf
大阪モノレール:2022大阪モノレール絵馬祈願「絵馬に想いを込めて」実施
http://www.osaka-monorail.co.jp/info/news-746.html
京都市:オリジナルグッズ福袋販売
https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000293367.html
以上、今日のトピックスでした。
【やんスポ】
いつもは後なんですが、今年最初の開催ってことで先に・・・・
<競馬ネタ>
[水曜の池添さん:結果編]
中山
2R:アコースロー 12着
6R:ワスカランテソーロ 15着
9R:ワイドソロモン 8着
11R:ヴィクティファルス 13着
見事な成績です。 掲示板に絡むことすらなく。
ま、自分のイメージでは年明けはあんまよくないって印象なんでこんなもんかもしれませんが・・・・
さて、ぞえの単複応援馬券を1年間買い続けてたらいくらになるんかちょっと計算してみたくなったんでやってみることとします。
実際には買ってないであしからず。1年やった収支で判断して来年に考えますw
ちなみに昨年は500鞍ちょっと騎乗してるので年間10万以上の払い戻しがないとマイナスってこととなります。
はい、幸先よく払い戻し0スタートですw
今週末の3日間開催でちょっとは戻してくれればいいんですけど・・・・
【れきしヒストリア17:法善寺横丁】
1年半以上ぶりのれきしヒストリア、今夜もどうぞお付き合いください m(__)m
さて、やん散歩で歩いてきた法善寺と法善寺横丁周辺ですが、浮世小路にある古地図を見ていきたいと思います。
まずは江戸期の地図です。
千日寺の法善寺、竹林寺が南北に並び、その先には千日の刑場と大坂七墓の一つ、千日の墓があります。ビックカメラやNGKがある辺り、今はかなりの繁華街ですが、この時代は大坂の町の外れだったんですね。
法善寺と竹林寺を中心に東西に元堺町、元京橋町、元相生町、元伏見坂町と「元」がつく4つの町があります。
元堺町、元京橋町、元相生町の3つの町は元々、天満橋の南詰の東あたりにそれぞれ、本堺町・京橋1丁目・相生東町・相生西町としてあったのですが享保9年(1724年)の大火の後、火除地として収公(今でいう接収)されその代替地として道頓堀川の吉左衛門町の南側が与えられることになり元堺町、元京橋町、元相生町となりました。
北から順番に見ていきましょう。
元堺町は宝暦町鑑では「道頓ぼり戎ばし南詰より一すじ内、なんば新地ノ地内北・中・南共云」
元京橋町は「道頓堀戎ばし南詰より二すじの丁、なんば新地、内」
元相生町は「道頓堀戎ばし南詰より三すじ南、難波新地という」と書かれています。
この3町は文政10年(1827年)角の芝居小屋を火元とする火事で被災することとなります。 大火の代替地として移ってきてからも火の禍に合ってしまうのでした。
法善寺、竹林寺の東側の元伏見坂町は玉造あたりに伏見町人が大坂移住によりできた伏見坂町が元となります。 北組と南組とがあり、そのうちの北組伏見坂町が元禄15年(1702年)に道頓堀南裏西高津村内に移転し、旧町名にちなんで元伏見坂町となりました。
天保の改革の一環として天保14年(1843年)、元伏見坂町など道頓堀の芝居街に隣接する道頓堀沿い4か町の旅籠屋は芝居茶屋へ転業が命じられ、歌舞伎役者・人形遣いはその住居を元伏見坂町と南の難波新地1丁目に制限されることとなります。
元伏見坂町の南にある難波新地は昭和57年まで残った地名で、江戸時代は1~3丁目までありました。
1丁目は元伏見坂町の南、天保町鑑では「道とんぼりより四筋南、千日前自安寺北がハ坂町うら共」
2丁目は元相生町南裏で「千日前一筋西の筋野がハ、同やぐらまへ東へ半丁両かハとも」
3丁目は九郎右衛門町南裏で「すまふ場北西かハ、同やぐらまへ東へ半丁両かハとも」
とあります。(現文のままなんで意味がわかりにくい部分もありますがw)
明和元年(1764年)より行われた難波新地の開発に際して、茶屋や湯屋、芝居櫓、髪結床などが許可され、これにより芝居・相撲興行のほか見世物なども出て賑わいが増していくこととなり、それが現在のミナミの繁華街の基礎がつくられていくこととなります。
ちなみに元禄9年(1696年)の地図では道頓堀沿いの芝居小屋街だけでその南側には法善寺、竹林寺、そして千日墓を意味する火屋しか書かれていません。元堺町、元京橋町、元相生町、元伏見坂町が移ってきて南に拓かれていくこととなるんですね。
一気に進んで明治末期の地図です。
明治になると元堺町、元京橋町、元相生町の3町は難波新地に編入、元伏見坂町は南坂町と名前を変えることとなります。
今の千日前通ができる前の様子で法善寺とともに千日回向で知られた竹林寺も広大な敷地で乗っています。 縁切れ横丁ってなんやw
明治の後期、法善寺境内に大阪落語の黄金時代をうちたてることとなる紅梅亭と花月亭の寄席が存在しました。
やん散歩の浮世小路でも触れましたが、今井のうどん屋さんはこの頃は楽器店だったんですね。
明治45年の四ツ橋から下寺町まで焼き尽くす南の大火があり、焼け跡に作られるのが地図の水色の部分の千日前通となります。元々は東西の通りを道頓堀の北側、宗右衛門町あたりに作る予定だったのですが、もしこの時の大火がなければミナミの形が少し違った感じになっていたかもしれませんね。
昭和10年の地図です。
戦前の法善寺境内は斜めに参道があったんですね。
金沢亭が大正4年、吉本に買収され花月亭となります。 紅梅亭も花月食堂へと変わっています。 今の吉本の原点に近い感じですね。
戦争の空襲でこの辺りは焼けてしまい、新たに区画整理が行われます。
昭和49年の地図ではお店の名前はだいぶ違いますが、区画の感じは今と同じになっていますね。
やん散歩から続けてみてきた法善寺横丁周辺。
ミナミにありながらどこか落ち着いた感じのする法善寺。 たまにはミナミの喧騒から離れ訪れてみるのもいいかもしれません。
参考)
大阪古地図むかし案内 本渡章氏
【鉄ネタ+】
https://toyokeizai.net/articles/-/479860
この問題、出てくる度に思うんですが着地点ってあんかいな?
川勝知事はどう考えても反発するやろうし、民意で選ばれた方やから尊重はせんとダメやし。。。 リニアにもう少し柔軟に対応できる首長が出るまで待つかとなれば、その分開業がどんどん先送りになるし。
ま、大阪の人間としては名古屋までのリニアがあろうがなかろうがどっちでもいいんやけれどね。
【今日のハングル:호랑이】
안녕하세요.
今日もハングルの単語を学んでいきましょう。
今回は“호랑이”です。
読み方は“HORANI”「ホランイ」。
今年の干支でもある「寅・虎」のことです。
「寅年」を表現するには“호랑이”に十二支の時に使う“띠・ッティ”をつけて“호랑이 띠・ホランイ ッティ”といいます。
<나와 너의 서울>
https://www.konest.com/contents/news_detail.html?id=45638
観光客としてなのかビジネスでなのか、はっきりとはわかりませんが観光客としてなのならば100万人ってのはコロナ禍を思えば多いなぁと・・・・
日本の人が1万4000人ってことやからビジネスでやと思うんですけどね。
行けてる他の国の方もいらっしゃるんやなぁとなんかうらやましく思ってしまいました。
【明日は何の日:将軍大坂城を去る】
1月6日 “将軍大坂城を去る” 1868年(慶応4年)
15代将軍徳川慶喜が大政奉還したのは1867年(慶応3年)10月、12月には王政復古の大号令。それでも旧幕府勢力の力は残っていて翌年1868年1月3日の鳥羽・伏見の戦い、いわゆる戊辰戦争の始まりとなります。この時慶喜は大坂城内にいましたが入ってくる知らせは悲報ばかりで幕府軍完敗の模様。このままで大坂城も危ない。
「この上は将軍退去により兵の憂いを除くが上策」
との閣老の進言を受けた慶喜は6日深夜闇の中、重臣を供に城を脱出。
天満八軒家から小舟で天保山沖へ出て軍艦開陽丸に乗り移り江戸へと逃げ帰っていきました。
9日、長州軍が大坂城へと押し寄せ、さらには本丸台所から出火したちまち炎上。
大坂の空が真っ赤に燃える中、人々は逃げ惑い市中大騒乱。
10日には錦の御旗をひるがえして薩摩の官軍が大坂に進駐、征討将軍嘉彰親王の宿所を北御堂の津村別院に設けます。
城代もいなくなり、町奉行所も門を閉じた大阪は市中が無政府状態となる中、この状態を回復するために出されたのが「市民慰撫の令」です。
“心配はいらない。離散の者も帰宅して今まで通り本業に精を出せ”
というものですが、さてそのときの市民はどういう心境であったのやら。
【1/5 気になったYahoo記事】
https://news.yahoo.co.jp/articles/373238df713cb33ed3cd3e3b2012b85301131884
財布忘れるってある??と思ったんやけれど、長崎でも羽田でも直接送り迎えしてもらってたら財布がなくても気づかんか、、、、ってロビーでなんか買おうとせんかったんやろか???って思っても今はスマホで決済できるしね。
???な感じやけれど、まぁ今季の大活躍を期待していますw
【今日のほぼ日 日々の手帳】
多様性=どうしてこんなにいっぱいあるのか、というのと、
適応性=どうしてこんなにうまくできているのか、というのは、
全部の生物をいろいろ見ると、すごく不思議な疑問です。
めちゃくちゃ寒いんですけど(苦笑)
明日もみなさんにとっていい一日になりますように・・・・
おやすみなさ~い。