こんばんわ、11月24日・水曜日の書き込みです。
前みたいに家でちゃんとごはんを作ろうと、しばらく使ってなかった調味料を買いそろえました。 レジを通してもらってるときに「年齢確認商品です」という音声メッセージが。 “えっ? 酒は買うてないけど、、、”と思ってみてみると、犯人は「みりん」。
みりんって年齢確認されるんですね。 調べてみるとみりん風調味料はアルコール度数が低いけれど本みりんはアルコール度数が高いから購入時にお酒と同じような年齢確認が必要だとか。
てか、みりん飲む未成年おるんかいなw
この年になって初めて知ったことでした。
では11月24日・水曜日分の目次です。
- 【鉄道トピックス】
- 【やん散歩15:法善寺横丁(後編)】
- 【鉄ネタ+】
- 【今日のハングル:~한테 인기 많다】
- 【明日は何の日:女子専用電車走る】
- 【11/24 気になったYahoo記事】
- 【今日のほぼ日 日々の手帳】
【鉄道トピックス】
JR西日本:きのくに線「サイクルトレイン2022」通年実施へ
きのくに線紀伊田辺~新宮間で実施されていた自転車をそのまま車内に持ち込めるサイクルトレインの実証実験ですが好評により実施期間を延長となりました。
区間は紀伊田辺~新宮間ですが、平日は9:00~終電までに延長(実験時は9:00~17:00)土休日は終日。
現時点で期間は12月1日(水)~2022年12月31日(土)までとなっています。
詳細)https://www.westjr.co.jp/press/article/items/211124_01_cycletrain.pdf
京阪:京橋駅1・2番ホーム 可動式ホーム柵使用開始
京阪発となる可動式ホーム柵が京橋駅の1・2番線ホーム(京都方面行)に設置されます。 1番線は12月4日(土)の夜間、2番線は2022年1月8日(土)の夜間に可動式ホーム柵を設置。 使用開始は1番線は2022年1月30日(日)、2番線は2022年2月20日(日)からで設置されてから使用開始までの間は可動扉を常に開いている状態となります。
詳細)https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/211124_keihan-railway.pdf
阪堺:国内現役最古車両モ161号期間限定で通常運行へ
国内現役最古の車両モ161形が期間限定で通常運行されます。 通常は主に貸切専用列車として運行されますが、3月に実施された「モ161号大規模修繕工事」のクラウドファンディングによる修繕が9月に完成。 一般の方にも乗る機会を設けるために12月2日(木)~2022年2月末までの予定で運行。
天王寺駅前・恵美須町~浜寺駅前全線で運行されますが、モ161号がどこを走っているか電車位置情報が南海アプリで確認が可能となっています。
詳細)https://www.hankai.co.jp/_wp/wp-content/uploads/2021/11/8e0310d7b8ba4521b5f29b8b63019324.pdf
<グッズ・乗車券・イベントなど>
JR西日本:『福知山ICOCAキャンペーン』スタート
https://www.westjr.co.jp/press/article/items/211124_02_fukuchiyama.pdf
神戸新交通:「ポーアイ・スケートチケット」発売
https://www.knt-liner.co.jp/news/6088/
今日のトピックスでした。
【やん散歩15:法善寺横丁(後編)】
先週の前編は法善寺から西側をやん散歩してみました。
11月17日・水曜日 【やん散歩14:法善寺横丁(前編)】 - K‘s DREAM next
今回の中編(3部に分けた理由は最後に)は法善寺から東側、そして法善寺横丁へとやん散歩です。
法善寺から千日前にかけて右側にはお寺の敷地となりますが左側には数件の飲食店が並ぶ通りとなっています。千日前側からの入口には「天龍山法善寺」の石柱があります。
この水かけ不動のある法善寺参道の一本北の路地が「法善寺横丁」です。美しい石畳の路地の両側に飲食店が軒を連ね、大阪情緒を醸し出しています。
もともとは法善寺の境内で縁日などで並んでいた露店が明治時代以降に飲食店として定着していきました。 戦前には寄席もあって華やかなところでした。「法善寺横丁」が世に知られるようになった最初のきっかけは昭和15年(1940年)、織田作之助の『夫婦善哉』が発表されたことにあります。
作中には「法善寺横丁」という名前は登場せず、この境内の飲食店らへんはそれまで「法善寺裏」とか「法善寺路地」とか「極楽小路」などと呼ばれていました。『夫婦善哉』と同時期に『オール讀物』の掲載された長谷川幸延の『法善寺横町』が直木賞候補にあがり有名になり、それ以降一般化しました。 (小説のタイトルは“丁”ではなく“町”)。
戦後、『夫婦善哉』の映画化、藤島桓夫の『月の法善寺横丁』のヒットで法善寺横丁は有名観光スポットとなります。多くの飲食店が並ぶ法善寺横丁ですが2002年と2003年に発生した火災で被災しましたが、建築基準法の連担建築物設計制度の適応を受けて2004年3月末、もとの横丁の姿に復興されました。例年8月10日・11日には横丁祭りが催されます。
横丁の東西の入口には木製の看板がかかっていて東側の入口には三代目桂春団治が揮毫しています。
横丁には多くの石碑があります。
平田春一 歌碑
“かくばかり 鯛を食わゞ鯛の奴 うらみつらむか或は否か 春一”
明治~昭和の歌人で鯛が大好物だったことがこの歌から感じとれます。
月の法善寺横丁 歌碑
さきほど書いた藤島桓夫のヒット曲です。 料亭の若い板前が修業のために横丁を離れるにあたって将来を誓った中の「こいさん」とのしばしの別れを惜しむといった内容の歌です。
織田作之助 文学碑
“行き暮れてここが思案の善哉かな”
『夫婦善哉』の作者ですね。
西田當百 川柳句碑
“上かん屋 ヘイヘイヘイとさからはず”
明治~昭和前期の川柳役者で川柳雑誌『番傘』創刊号の句です。
織田作之助文学碑と西田當百川柳句碑との間に織田作之助も愛したと言われる正弁丹吾亭という小料理屋があります。1893年創業で当時は関東煮をウリにしてた立ち飲み屋でもとの店が公衆トイレ跡地にあったことから児童文学作家・小川未明は「小便・担桶」をもじってその名がついたとか。 もと写真を撮った時にはやられてたのですが、現在は閉店されているそうです。
横丁の西側の入口には松竹新喜劇の藤山寛美が揮毫されています。
ちょうど法善寺横丁の真ん中あたり北へ道頓堀に向かって1本の細い路地があります。
“浮世小路” 幅が1メートル20cmという人と人とがすれ違うのも大変なこの路地に昔の法善寺横丁の様子の資料が数多く展示されています。古地図が好きなんでそれを見てるだけで時間がどんどんたっていきますw
次回、ここの展示物を見ながらこの周辺をタイムスリップしてみたいと思います。
法善寺の参道をそのまま千日前を超えたところに南之福寿弁財天があります。
桂米朝、三代目桂春團治などが発起人となり南の文化発展を願って2006年に奈良県吉野の天河神社の弁財天を勧請したものです。
同じ通りには千日山弘昌寺があるんですが、見当たらず。
南之福寿弁財天の上に名前は書いてあったんですが・・・・
神様と仏様がなかよく同じ建物にいらっしゃるのでしょうか。。。。
さて藤山寛美の揮毫で何か気づかれた方はいらっしゃいますか?
この揮毫、“善”の字が12画ではなく横棒が1本なくって11画に。
“寛美”の“美”と“善”の上の部分が似ているので間違えたってことはなさそうですが・・・
道頓堀のウインズの裏手を歩いて11画の揮毫の意図を想像するやんやんでした。
前編・後編でやろうと思ったのですが、浮世小路のところがかなり長くなりそうなんでもう1回分けます。(^^ゞ
【鉄ネタ+】
https://toyokeizai.net/articles/-/470289
このシーズンが一番美しいかもしれない叡電沿線。
残念ながら今年も鞍馬の火祭りは中止となってしまいましたが、鞍馬や貴船、八瀬と観光スポットが目白押し。 という自分はまだ叡電に乗ったことがありません(苦笑)
洛北って位置的になかなか行けないんですわ。
【今日のハングル:~한테 인기 많다】
안녕하세요.
今日もハングルの単語を学んでいきましょう。
今回は“~한테 인기 많다”。 単語じゃなくって文です。
読み方は“~HANTE INKI MANT” 「~ハンテ インキ マンタ」。
“~한테・ハンテ”=「~(人・相手)に」
“인기・インキ”は漢字語で“인・イン”=「人」 “기・キ”=「気」 “인기”=「人気」
“많다・マンタ”=形容詞の「多い」の原形
“~한테 인기 많다”=「~に人気が多い」となりますが、意訳して「~にモテる」という意味もあります。
自分には無縁な言葉です(涙)
<나와 너의 서울>
https://www.konest.com/contents/news_detail.html?id=45358
日に日に増えていますね。 非常計画発動云々が言われるようになっては観光なんかまだまだ先の話に思えるんですが・・・・
厳しい制限をかけるか、それともウィズコロナ前提である程度は仕方ないとなるか、韓国政府がどういう対応するか注目です。
【明日は何の日:女子専用電車走る】
11月25日 “女子専用電車走る” 1942年(昭和17年)
戦局はいよいよぬかるみに入り出していました。
大阪の町はもう軍需産業一色、よっぴてでも生産力をあげねばと・・・・
ところが肝心の労働力がこれまた召集でどんどん取られていきます。そこで婦人が狩り出され、“女子産業戦士”などと大層な呼び名をつけられて、あちこちの工場に配属させられました。が、彼女らにとって辛いのが通勤時。いかに産業戦士と勇ましい名が冠させていても、そこは女性。しかも現在の男性そこのけ女子とは違います。荒々しい男性とラッシュに押し合って乗車するのは相当困難ですし、また乗り合ってからの問題点も多く、そこで登場したのが「女性専用車」なる市電。
全国初の試みで当時中山製鋼所、大阪製鉄所をはじめ各工場へ通う女工務員、女事務員、それに港南国民学校の女先生など、婦人の利用者の最も多い鶴町線から始められました。昭和17年のこの日に初運行。大正橋初木津川運河行。これで婦人もようやく安堵して通勤できるようになりました。
※書けてない日の分も書いていきます。
9月12日 “大阪球場開場” 1950年(昭和25年)
プロ野球が二リーグに分裂したのは昭和25年。その年のこの日、大阪球場(当時は難波球場)が開場しました。
専売公社の跡地でここを本拠地とした南海ホークスはその年こそ優勝を逃しますが(2位)翌年からは優勝に次ぐ優勝、山本監督率いる蔭山、木塚、飯田、堀井、島原、森下、松井、そして柚木、宅和などの大活躍とそれに当時は阪神-巨人などセ・リーグの黄金カードも組まれていたので大阪人は連日難波へ集まりました。ナイター設備もいち早く26年に完成。
ところで、この球場の横手にはかつて入堀川が流れていました。ちょうど球場入口の西の所に橋が架かり入舟橋と呼ばれていましたが、俗に幽霊橋とも呼ばれ親しまれていたもので、この橋を渡る時、その昔、その種の女性が出てきて手招きをする、その恰好が幽霊に似ていたからとか。
球場と交代するようになくなりましたが、当時毎日オリオンズにいた荒巻投手が来るようになってちょうど入れ合わせがついたといいます。 荒巻投手の異名が“火の玉投手”だからとか。
【11/24 気になったYahoo記事】
https://news.yahoo.co.jp/articles/38c6055d22301614aa77a6ce974c41e9c27e4fa8
二日続けて富士急ネタ。
昨日、ああ書きましたがさすがにこれはあかん。
こんな見たらわかることができんってことはジェットコースターの安全ベルトの確認とかも忘れてしまう可能性があるとかやん。
昨日のこととは分けて考えるけれど、さすがに何か体制的に問題があるんやないの?
【今日のほぼ日 日々の手帳】
「痛い!」というリアクションをするじぶんが、だんだん恥ずかしくなってくるんです。
ぼくが練習中に経験している痛みを、もしかしたら仲間も味わっているかもしれない。
それでもみんな、平気な顔をしているんです。
じぶんが痛いと感じたとしても、平然とした顔をしてピッチに立ち続けるのが
ラガーマンなんだと思うようになりました。
-五郎丸歩さんが『仲間の背中を信じて走る。』の中で
今晩はかなり冷えますね。
明日もみなさんにとっていい一日になりますように・・・・
おやすみなさ~い。