こんばんわ。6月3日・日曜日の書き込みです。
見事に風邪をひいてしまいました。
くしゃみと鼻水と咳の三重苦。 熱はなさそうなんですが、めっちゃだるい状態で・・・・
エアコンかけるん、ちと早かったかな。
【鉄道トピックス】
近畿圏の鉄道+西武・名鉄の今日のトピックスはありません。
全盛期に比べると日本の鉄道の総延長距離は短くなっていますが、それでも47都道府県、鉄軌道が走っています。
鉄道計画を練って実際に実現した鉄道事業者があれば、計画を練っても実現できなかった事業者もそれ以上に存在します。
それを“未成線”といいます。
簡単に言うと、敷設する計画があったのに構想段階・建設段階の中途で挫折してしまった路線。
山ほどある“未成線“を見て行く、それが『もしもストーリーIF』。
もしも実際に走ってたらどんな感じだったんやろか? そんな感じで想像していただければと思います。
第1回目は自分の生まれ育った大東市を東西に貫いてたかもしれない大阪電気軌道四条畷線です。
大阪電気軌道(大軌)とは近鉄の前身で上本町~奈良間を開業しました。
その大軌が北河内地区を通り大阪市内への鉄道を走らせようとしたのが四条畷線です。
当時の現・大東市には国鉄片町線がまだ未電化で走っていました。
鉄道省は片町線の電化を決定するものの、関東大震災による財政引き締め策の影響を受けて電化計画を凍結してしまいます。
そこへ大軌が高速電気鉄道網から漏れた北河内地区への進出を狙って四条畷線の計画をし、1922年(大正12年)6月に天満橋筋4丁目~四条村寺川~鷲尾間に電気軌道の敷設免許を取得しました。
大阪市と北河内・中河内地区を結ぶ計画で、現在の源八橋付近の天満橋筋4丁目付近を起点とし片町線と寝屋川に平行しながら茨田池(まったいけ)の埋め立て地を東へ、茨田村・諸福村・生駒山の麓の四条村寺川へ至ると進路を南に変えて孔舎衛村(くさえむら)の大軌奈良線鷲尾駅(のちの孔舎衛坂駅→廃止 石切駅北方)へ至る路線です。
この近辺の方はピンとこられるかもしれませんが、現在の大阪生駒線(阪奈道路)とほぼ同じルートになります。
計画はしたものの、大軌は伊勢方面への建設に総力を投じ、なかなか四条畷線の着工には踏み出しませんでした。 片町線の電化先送りも影響したのかもしれません。
しかし北河内・中河内地区を鉄道構想を打ち出す事業者が多数現れ、中には免許も取得。
大軌としては他事業者よりも先に四条畷線の建設に着手しなければならない状況になりました。
建設にあたって、1930年(昭和5年)終点を大軌鷲尾から額田駅へ変更します。
生駒山麓の鷲尾は地形が険しく、より奈良線との連絡工事がやりやすい額田へと変更したのでした。
同年7月旭区鶴見町下ノ辻(現・鶴見区今福鶴見付近)~四条村寺川間7.8kmの施工認可を受けて工事に着手。 翌31年(昭和6年)12月には蒲生町(蒲生4丁目付近)~下ノ辻間1.3kmの工事認可を受けて工事に着手します。
こうして蒲生~寺川間の路盤工事が順調にするんでいきますが、最大の問題点、大阪側の起点を決定できずにいました。
大阪側のターミナルは特許時には天満橋筋4丁目。いまのOAPあたりです。
こんな中途半端なところをと思われるかもしれませんが、ここを起点に選んだのは大阪市が計画した市電空心町線(梅田阪急前~扇橋~天満橋筋4丁目~空心町2丁目)との接続を計画してたからです。 しかしその市電空心町線は梅田阪急前~扇橋は開通するも扇橋以東が着工できず、市電と接続ができないのなら天満橋筋4丁目を起点にしても意味がないということで練り直しとなります。
当時、京阪が取得してた蒲生~桜ノ宮間の計画線を利用し桜ノ宮への直通するという案、また京阪の蒲生信号所(現・廃止)の側に大軌蒲生駅を設けて京阪へ乗り入れ天満橋へという案といろいろと考えられましたが、うまくいかずに頓挫してしまいます。
そうこうしてるうちに片町線が1932年(昭和7年)12月に関西初の国電として電車運行を始めることとなります。 頻発運転、京橋で城東線、片町で市電と接続、運賃も安いとあって起点駅をまだ決めれてない大軌四条畷線が太刀打ちできる相手ではありません。
寺川以南も生駒山麓の丘陵地でなかなか適切なルートが決めれず1934年(昭和9年)以降、四条畷線の工事はストップすることになります。
すでに路盤ができてた蒲生~寺川間は大阪府が大阪市と北河内地区を結ぶ産業道路への転用されることとなり、今の大阪生駒線(阪奈道路)ができました。
鉄軌道計画は頓挫してしまった大軌でしたが、その産業道路に鉄軌道ではなく自社のバス路線を企画し1940年(昭和15年)12月 大阪市東野田四丁目~蒲生四丁目~住道大橋間で営業運転を始めました。
そして1942年(昭和17年)5月、大軌を継承した関西急行鉄道は四条畷線の特許の起業廃止を行い未成線となってしまいます。
のちに梅田へ進出した近鉄バスですが、長年大阪市バスとともに大阪生駒線を走り続けていました。 最盛期には梅田から生駒山上、遠く近鉄奈良駅へ。
しかし1990年(平成2年)に地下鉄鶴見緑地線ができ、片町線も東西線開通によってキタへ乗り入れ、大阪市バスも走る中、苦戦を強いられ徐々に区間短縮、そして2008年(平成20)4月には週1本、さらに2016年(平成28年)には年1本と減少。
2017年(平成29年)3月31日をもって休止とされました。
大軌四条畷線の名残として走ってた近鉄バスがなくなってしまいましたが、今でも名残は残っています。
今福の城北運河に架かる橋「大喜橋」。
大軌が四条畷線用に建設し、大軌が作った橋ということで「大喜橋」と名付けられました。
かつてここに大軌が鉄軌道計画をたてた名残を今でも感じることができます。
20年以上、大東市諸福に住んで近鉄バスが諸福地区を東西南北に走ってる光景を見てたので全くなくなってしまったことは正直なところ寂しいです。
参考) 近鉄沿線ディープなふしぎ発見 鉄道未成線を歩く(私鉄編)
【やんスポ】
<今日の森貯金&ねこさんこねこさん>
セパ交流戦 : T 5―10 L
イ公式戦 : L 4―5 E
昨日は悔しい試合でしたが、今日は勝てて交流戦2カート連続勝ち越しできました。
後ろにハムがぴったりついてきてるので、毎日ハラハラもんですわ。
森くんは代打で出場。1打数ノーヒット、1四球。
藤浪との大阪桐蔭対決は四球という結果で終わりました。
次はいつこの対決が見れるでしょうか。。。。
てことで、出場100円 四球50円で合計150円。
今日から新幹線料金編となります。 運賃編のあまり60円を足して210円となりました。
当然、新幹線に乗れませんw
火曜からは横浜でDeNAとの3連戦となります。
<日曜の池添さん 結果編・阪神>
3R ネオバスティーユ 5着
6R ナポリタン 17着
7R ボードウォーク 2着
8R レッドガラン 6着
9R ショウナンサニー 7着
11R アドマイヤエイカン 2着
12R メイショウブレナム 3着
今週は未勝利でした。
【鉄ネタ+】
食堂車って自分の記憶の範囲では利用したことないですね。
気軽に食べれるって感じのビュッフェ的なものを復活させたら需要があるように思うのですが・・・
【明日は何の日】
6月4日 ムシの日
「む(6)し(4)」の語呂合わせから、「こどもの国ムシムシランド」を運営する福島県田村市常葉振興公社などが制定しました。
先日、父親の家の庭の草むしりをして大量のムシにぞーっとした自分。
ムシはやっぱり苦手です。
【6/3 気になったyahoo記事】
ジュエルペットに世代交代や!!
【今日のほぼ日 日々の言葉】
いとこの結婚式は教会でとりおこなわれました。
当時27歳だった弟が、トイレの場所を開くために
教会の人にやや緊張しながら声をかけました。
「す、すみません、マリア様、洗面所はどこですか?」
弟よ、マリア様ではなくシスターだよ・・・・。
―『言いまつがい』より
もしもストーリーIFを今年のチョコ祭りで もしもストーリー1階って何?て思ったのは内緒やでw
さて、風邪が悪化しないために寝るとしましょ。
おやすみなさ~い。