こんばんわ。1月6日・火曜日の書き込みです。
今日の午前、島根県を震源とする地震が相次いで起こり、鳥取県と島根県で
最大震度5強を観測しました。
この後も1週間ほどは後発の地震の可能性もあるとのこと。
ちょうどこの週末3連休で鳥取行きなんでほんと気になっています。
さらに3連休は雪も降るそうで・・・・
翌日から仕事なんでちゃんと帰ってこれたらいいのですが、、、、
では1月6日・火曜日分の目次です。
【鉄道トピックス】
大阪Metro:谷町線喜連瓜破駅4号出入口一部時間帯閉鎖
浸水対策工事に伴い谷町線喜連瓜破駅4号出入口が一部時間帯で閉鎖となります。
[閉鎖期間]
2026年1月19日(月)~2026年6月末まで
[閉鎖時間]
16時から翌日初発まで (土日祝除く)
詳細)谷町線 喜連瓜破駅 4号出入口時間閉鎖について|Osaka Metro
今日のトピックスでした。
【れきしヒストリア19:千日前(前編)】
れきしヒストリア、今夜もどうぞお付き合いください。m(__)m
以前、法善寺横丁を見ていきましたが、今回は法善寺横丁の南にある
千日前を見ていきます。
千日前の語源については以前のうんちくまでやりましたので置いときます。
1月13日・日曜日 【うんちくま11:千日前はいつの千日前?】 - K‘s DREAM next
1・道頓堀川開削と芝居町形成
千日前の歴史を見る前に道頓堀川の歴史も見なければいけません。
今から4百年と少し前、戦国時代が終わりを告げようとしているころの
道頓堀、千日前何もなく、そこに1612年(慶長17年)東横堀川と
西横堀川を結んで木津川へそそぐ、堀川の開削が始まりました。
その堀川の新川奉行に任命されたのが成安道頓。 道頓は大坂の陣で戦死したために
従弟の安井道卜や安藤藤次らに引き継がれ1615年(元和元年)に完成します。
当時この川は南堀と呼ばれていましたが、豊臣家の滅亡後、大坂城主となった
その後、道頓堀川の南側に1626年(寛永3年)最初の芝居小屋ができ
追って次々と芝居小屋が開場。 道頓堀が芝居町となります。
2:千日墓と刑場
最初の芝居小屋ができる少し前、道頓堀川の南の辺鄙なところへ
大坂七墓の一つ千日墓ができます。
市街地拡張のために点在していた墓地を城下町の外遠部にまとめたもので
七墓の中で千日の墓が最も大きな墓所でした。
墓所に併設して大坂町奉行所の刑場もつくられました。いわゆる獄門場です。
1620年(元和6年)のこと。
その時に太郎衛門橋から南へ墓と刑場へつながる道ができます。
今の千日前の南北の通りですね。
3:千日前誕生
その道頓堀の芝居町と墓・刑場の間に1637年(寛永14年)寺町より
法善寺が移築。
1644年(寛永21年)から法善寺では千日念仏回向が行われることになり
千日寺と呼ばれ有名になります。
1648年(慶安元年)には法善寺の南隣に浄業院の名前でのちの竹林寺が建立。
こちらも1666年(寛文6年)から千日念仏回向が行われます。
このように千日念仏回向が行われる二寺の東側を通る南北の道が千日前と呼ばれ
地域全体にもその名が呼ばれるようになります。
1696年(元禄9年)の大坂絵図では道頓堀の太郎衛門橋から南への一本道に
そって法善寺と竹林寺、突き当りに“火屋”と書かれた千日墓が描かれています。
前回の法善寺横丁の時に浮世小路にあった絵図がそのころのものですね。

法善寺と竹林寺しかなかった1本道に東西の道ができて、元堺町・元京橋町・
元相生町・元伏見坂町・難波新地一丁目の町が形成されていったのがこの絵図から
わかると思います。
次回は明治維新以降どんな感じになっていったか見ていきたいと思います。
【やんスポ】
[相撲ネタ]
大相撲の1月場所が今週末11日・日曜日より国技館で開催されます。
推しの3力士の今場所の番付は
王鵬 東小結 ← 西関脇
夢道鵬 西幕下14枚目 ← 東幕下7枚目
小城虎 東序二段51枚目 ← 西序二段23枚目
先場所は3人とも負け越してしまいましたので番付を下げてしまいました。
今場所の幕下番付を見てみると、夢道鵬と新十両そろってなった三田もケガで
幕下に落ちてしまい、宮乃風も先場所から幕下へ。
三田は十両優勝したほどやったんですが、ケガしてしまうと一気に番付を下げて
しまうんやなぁと改めて思いました。
今場所は3人ともそろって勝ち越しできますように・・・・
【今日のハングル:폭설】
안녕하세요(アニョハセヨ)
今日もハングルの単語を学んでいきましょう。
今日のハングルは“폭설”。読み方は“POKSOL・ポッソル”。
漢字語で“폭・ポッ”=「暴」 “설・ソル”=「雪」 “폭설”=「暴雪」となります。
突然降る「大雪」のことを意味します。
1月~2月にかけてソウルは当然ながら、日本でも北日本や日本海側を中心に
“폭설”に注意が必要です。
【明日は何の日:味噌醤油の割り当て発表】
1月7日 “味噌醤油の割り当て発表” 1942年(昭和17年)
日米開戦からちょうど30日目、七草粥を食べている市民に、国は10日より味噌醤油を割り当て配給制にすると発表しました。
味噌・醤油の需要調整を円滑にするとともに戦時下可及的多量に保存・貯蔵する必要から6大府県の主要都市において行うもので、大阪では男女年齢問わず味噌が1日3.3匁、醤油は1か月4・5合。
食生活は昭和15年頃から苦しくなりだし、16年にはすでに米穀通帳制が生まれていましたが、17年になると何もかもが配給制に。塩はもちろん食用油、パン、生うどん、酒、牛乳などなど。副食物も家族の数に応じて量が決められ隣組を通じて配給がされだしました。
食料だけでなく衣料までも2月になると点数切符制、大阪市部で一人100点、郡部で80点。 背広、オーバーは各50点、国民服は32点、長袖シャツは12点、手ぬぐいは3点。 背広とオーバーを買ってしまうと、それだけで一年間シャツも手ぬぐいも買えない勘定になってしまいます。
いよいよ大変な時代へと入っていったのでした。
【今日のほぼ日 日々の言葉】
料理の中に物語があり、歴史があり、日常があり。
「試合の前にとんかつを食べる」とか「うれしいことがあった時に赤飯を炊く」とかだって、
小さな物語だよね。飯の持っている力って、すごく大きい。
お雑煮なんて、それこそ共同体の歴史が入っているようなものでしょう。
それこそ出身地とか、家庭環境とか、料理に影響することっていっぱいある。
-重松清さんが『飯島奈美さんが物語を料理する、ということ。』の中で
明日もみなさんにとっていい一日になりますように・・・・
おやすみなさい。