こんばんわ。2月4日・日曜日の書き込みです。
今日は年明け以降分の溜まったプラスフィを聴きながら書いています。
今週末2月11日日曜日 東京の科学技術館サイエンスホールで“スフィア チョコ祭り 2018”が開催。
音楽活動は10周年に向けて充電期間中なので歌唱はありませんが、4人の生トークを楽しみに行ってきます。 自分的には今年最初で最後の生スフィアかもしれんし、、、
さて今日2月4日は“阪急”という言葉が生まれた日とも言われています。
てことで今日はその阪急の社名の変遷を見ていきたいと思います。
【れきしヒストリア2:阪急電鉄 社名の変遷】
(ここでは鉄道の歴史のおもしろさをより多くの方に知っていただきたいと思って書いていきます)
大阪と箕面・有馬を結ぶ目的で1906年(明治39年)箕面有馬電気鉄道として設立されましたが翌年箕面有馬電気軌道と改め1910(明治43年)現在の宝塚線箕面線にあたる梅田~宝塚、石橋~箕面間が開業しました。
次に目指したのが阪神間の敷設。当時すでに国鉄と阪神電鉄が開通していましたが、一番山手に高速列車を走らせようと目指します。
そして今から100年前の今日、1918年(大正7年)2月4日、阪神間を結ぶ電鉄(電気鉄道)に、より速いというイメージの急行の文字を合わせて阪神急行電鉄に社名を変更。2年後の1920年(大正9年)7月16日十三~神戸(のちの上筒井)間を開業し阪神間3つ目の事業者となりました。
ちなみに電鉄という言葉を正式な社名として初めて採用したのはこの時の阪急だといわれています。
昭和に入り京都間で鉄道事業を行ってた京阪電気鉄道と合併し京阪神急行電鉄となりましたが(戦後、京阪電気鉄道の淀川左岸部分は分離します)、略称として“阪急”という略称が広く使われるようになります。
その後、多くの人に親しまれてきた略称を活かすかたちで1973年(昭和48年)4月1日阪急電鉄と社名を改めて現在に至っています。
“阪急電鉄スゴすぎ謎学(夢文庫)より”
もしも阪神急行電鉄という社名がなかったならば、また違ったブランド名が北摂地域で広まっていたかもしれませんね。
以上、れきしヒストリアでした。
鉄ネタをもひとつ簡単に。
多くの方が言うように相互直通が便利なのは当然ですが、ここにもあるようにその相直相手の状況によって離れた場所でも遅延が拡大してしまう要因になるってことも知っておかないとダメやと思います。
【やんスポ】
<日曜の池添さん>
1R ナイトジュレップ 9着
4R ロジペルレスト 7着
7R エリティエール 2着
8R アストロノーティカ 5着
9R ブラストワンピース 1着
12R バルベーラ 12着
【今日は何の日】
二十四節気の1つ。初めて春の気配が現れ、春の始まりを意味する日です。
【2/4 気になったyahoo記事】
いくら相手が有名人であっても、さすがに場所と状況を考えんとあかんやろ。特にプライベート時は、、、
【今日のほぼ日 日々の言葉】
狙ったものだけを撮るだけなら、狙ってるんだから、撮れて当たり前です。
でも、こっちが「開いて」いると、
世界のほうから、勝手にぶわあーっと「入ってくる」ので、
それを「うおー!」と言って、撮る。
そっちのほうが、数千倍、うれしいです。
―上田義彦さんが『写真にドキドキし続けている。』の中で
今日は何とか日付をまたぐことなく書くことができましたw
明日からまた1週間が始まります。
週末の3連休に向けて頑張ろっと。