こんばんわ。2月10日・土曜日の書き込みです。
世の中、スムーズに物事は行かんなぁって思う今日この頃です。
というグチはおいといて、、、
土曜は鉄ネタポケモンネタ等 決めずにそんときの時事ネタを書こうかと思ってるのですが、明日がれきしヒストリアができないので今日、れきしヒストリアをやります。
【れきしヒストリア:川越への鉄道 前篇】
先日、本当の川越 本川越駅を駅物語でやりましたが、今日はその川越全体の鉄道の歴史を2回に分けて見ていきたいと思います。
<川越への鉄道 前篇>
川越は15世紀に太田道真・道灌親子によって築城されて以来の城下町で江戸を結ぶ新河岸川の舟運で支えられた商都。周辺の地方から江戸へ、江戸から地方への両方向へ運ばれる物資の集散地となっていました。1922年(大正11年) 埼玉県で最初に市制施行されるほどの町で、その賑わいは「小江戸」と現在でも呼ばれています。
東京から北に大宮経由で鉄道を敷いた日本鉄道(現:東北線他)、西に八王子方面へ敷いた甲武鉄道(現・中央線)に挟まれたこの地域に鉄道が敷かれるようになったのは1895年(明治28年)甲武鉄道の国分寺から所沢・入間川経由で北上するルートで開業した川越鉄道でした。
その川越鉄道が川越に最初に作った駅、それが当時の川越駅 今の本川越駅です。
ただ当時の川越の人々は鉄道を歓迎しなかったと言われています。それは新河岸川の舟運で栄えてきた地であったため、国分寺経由であっても対江戸のライバル 川越鉄道の敷設はありがた迷惑だったとも言われています。
実際に川越経由で運ばれてた入間川・所沢周辺の貨物は川越鉄道にシフトし、舟運に対してダメージが出てくることになります。
その後、決定的になるものができるのですが、それは次のお話に。
参考)西武沿線の不思議と謎(実業之日本社) 地形図でたどる鉄道史 東日本編(JTB)
“本当の川越 本川越”
この銀魂のフレーズはあながち間違っていないのかもしれませんね。
【やんスポ】
<土曜の池添さん>
京都
3R グランドックハート 1着
見事、量より質ですねw
<日曜の池添さん>
東京
4R ククルカン
7R キャナルストリート
9R ペオドメルヴェイユ
10R サングラス
【今日は何の日】
2月10日 簿記の日
簿記の原点である福沢諭吉の訳本「帳合之法」の序文が1873年(明治6年)のこの日に発行されたことにちなみ、全国経理教育協会が制定しました。
【2/10 気になったyahoo記事】
圧力説は真偽がわからんのでノーコメントですが、クモ膜下出血は今現在、自分の父がそれで治療してるので大変さは少しはわかる気がします。 精神的にいっぱいいっぱいになるのも。。。
【今日のほぼ日 日々の言葉】
ニジンスキーから借りたアパルトマンって、信じられないほど寒かったんです。
窓という窓がすべて北向きだったためにまったく陽の光が差さず、
築400年を経た窓枠はところどころ歪み、冷たい風が容赦なく侵入してくる。
雪が降ったら窓辺の床にうっすらと白いものが積もりますし、
吐く息は、四六時中、まっ白・・・・。気づけば、まゆ毛も凍ってる。
―TOBIさんが『レ・ロマネスクTOBIのひどい目。』の中で
東京、寒いんかなぁ。。。
ではでは。